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Why We Play vol.3:日野賢二 インタビュー【前編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜベースを選んだのか? そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。今回は日野賢二さんの登場です。

Why We Play

天才トランペッター日野皓正を父に持ち、マーカス・ミラーやジャコ・パストリアスらに直接指導を受けるなど、幼い頃から世界トップレベルの音楽に親しんできたベーシスト、日野賢二。ハービー・ハンコックやオマー・ハキムら一流のジャズ・ミュージシャンとプレイを重ね、現在は西野カナやMISIAのツアー・サポートを務めるなど、ジャンルを問わず様々な分野で並外れた才能を発揮し続けている。元々はトランペットから音楽の道に入った日野は、フェンダーのベースに魅せられ「ベーシスト」としての道を歩んでいくことになったという。彼が愛してやまないフェンダーベースの魅力とは? 自慢のコレクションの前で、大いに語ってもらった。

フェンダーのベースにはボトムがあるから
モータウンのような音楽が成り立つ
 

―  今、フェンダーのベースって何本くらい持っているんですか?

日野賢二(以下、日野)   それは、ヒ、ミ、ツ(笑)。今日持ってきたのは7本で、他にもまだある。やっぱりフェンダーは世界一の楽器ブランドですからね。

―  フェンダーのベースに出会ったのは?

日野   親父がトランペッターだから、最初は俺もトランペットを習わされてたの。でも、俺が14歳の時に兄貴がフェンダーMustang Bassを手に入れてさ。1966年製で、パドルペグにローズウッド指板、ボディは鼈甲(べっこう)がついたナチュラルカラー。それを取り合いながら弾くようになったらどんどん上達した。そのうち兄貴も、「お前の方がベース上手いし、俺はストラト買ったからこれやるよ」って。

―  トランペットよりも、ベースに魅力を感じたのですね。

日野   やっぱりさ、いくらトランペットを練習しても、親父には敵わないじゃん(笑)。例えば、ビートルズが好きだからトランペットでメロディを吹いてみるのだけど、親父が吹くとあんなにリッチで美しい音色になるのに、俺が吹くと歯医者の待合室や、デパートのエレベーターから流れているBGMみたいな音になっちゃうんだよ。「だったらドラムでもやってみようかな」なんて思っても、ドラムじゃ叔父のトコちゃん(日野元彦)には敵わない。ピアノもハービー・ハンコックがいるしなあって(笑)。だけど、親父が留守だった3カ月の間、トランペットは吹かずにベースばっかり必死で練習してたら、帰ってきてそれを聴いた親父に「お前のベース、なかなかいいじゃん!」って褒めてもらったの。それで、当時通っていた音楽学校の選考もトランペットからベースに変えてもらって。それで本格的にベースを始めたんですよね。トランペットで安っぽくビートルズを吹くよりも、ポール・マッカートニーばりにベースを弾いた方がモテるかな?っていう浅い考えだね。

―  (笑)。フェンダーの魅力はどこにありますか?

日野   もう、全て。特に倍音の出方だね。例えばE弦を1本弾いただけで、五度や七度の音が鳴っているんですよ。他のメーカーだと、同じ材質のモデルのはずなのにそんな倍音は出ない。だから楽器屋でベースを選ぶときは、まずはアンプを通さず弾いて倍音をチェックするようにしているんですよ。アンプを通さないでいい音だったら、20分でも30分でも楽器屋さんで弾いていられるわけ(笑)。「ああ、これ倍音がすごい出てる!」と思っても、しばらく我慢するんです。「うーん、よし! これだ、買おうかな」ってなったところで、「すみません、ちょっとアンプで鳴らさせてください」って。それで弾けば、ほぼ間違いない。「うお!これすげえ。これにします!」ってなるんだよ。

―  その倍音の出方の違いは、一体どこから来るんでしょうね。

日野   木って、乾燥させると縮むじゃないですか。それを実感したのはニューヨークのロングアイランドに住んでいたとき。そのときに親父が、自宅用としてバーベキューセットとデッキとテーブルを買ったんですよ。それを雨ざらしにしても大丈夫なように、ラッカーで塗装しておくんですね。けれども日が経つにつれ、だんだんラッカーが剥がれてきて、雨に打たれたり直射日光を浴びたりしているうちに、木が歪んでくる。しかもいつだったか、夏が異常に長くて暑くて、雨が降らない年があったんですね。1970年代だったと思うけど。そしたらデッキもテーブルも縮んじゃったんですよ。「おお、木が乾燥するってこういうことなんだ!」って。

―  (笑)。

日野   フェンダーって、そういう乾燥させた木材を使用しているらしいから、倍音がたくさん鳴るっていうのは、もしかしたらそのことと関係あるのかもしれないですね、木が締まっているというか。あと、ネックとボディの相性も、アンプを鳴らさないうちからわかります。フェンダーはネックもボディもちゃんと鳴っている。レオ・フェンダーさんは天才なんだよ(笑)。ずっと昔にプレベを作ってジャズベを作って、未だにプロはみんな、この2台のベースを欲しがるじゃないですか。最終的にはジャズベとプレベに戻る。それはやっぱりレオ・フェンダーさんのデザインが間違いないということですよね。

―  なるほど。

日野   それに、フェンダーは他のメーカーと違って、ちゃんとボトムがあるんですよ。ベースらしいベースの音というか。だからこそモータウンのような音楽が成り立つ。モータウンっていうのはファンクやロックと比べるとドラムが小さいんですよね。ジェームス・ジェマーソンの弾くベースが一番大きくて、曲の中で「主役」っていうイメージ。それだけ重くて太くて芯のある、個性的な音が出せるということなのだと思う。僕のヒーロー、ジャコ・パストリアスやマーカス・ミラーも、みんなフェンダー。「どうにかお金を貯めて、ちゃんとプロ用のジャズベを手に入れないとダメだな」と高校生の頃から思ってましたね。

―  日野さんは、ベースを始めた頃ってどんな練習をしていましたか?

日野   僕は大の音楽ファンで、あらゆるジャンルの音楽が全て弾けないと気が済まない人間だから(笑)、弾けない曲があるのは悔しくて悔しくて。ファンクが弾けないと黒人に指差して笑われるし。「畜生、いつか見てろよ」って。ベースって、トランペットやバイオリンと違って、「ちゃんと基礎練習をしないと音すら出ないよ?」という楽器じゃないですよね。買ってアンプに繋げて弦を弾けば、たとえ弾き方が違っても、ちゃんといいフィーリング、いいグルーヴを出していれば「勝ち」じゃないですか。それでとにかく、好きな音楽は全部アルバム買って、全部聴いてすべてコピーする。マーカスには、「ジャズはマイルス・デイヴィスかポール・チェンバースを聴け、ラリー・クラークをコピーしろ。俺もそうやって上手くなったから」って言われた。俺の頃はまだCDじゃなくてレコードやカセットの時代だから。何回もジャコの1枚を繰り返し聴いて練習して。コピーはみんなやった方がいいよ。コードとメロディの関係がどうなっているのか、アドリブはどうやっているのか、勉強になりますよね。

―  他にはどんな練習をしました?

日野   人の演奏を観に行く。お金を払ってライヴを観に行って、「あ、この曲はこうやって弾くんだ」って確認するのはすごく大事だと思う。あとはリズムの練習だよね。暑いニューヨークの真夏、電気代がもったいないのでクーラーはつけず部屋の窓を開けて、パンツ一丁でリズムマシンを鳴らしながらひたすら弾いてたよ。もう汗だくでビチョビチョになりながら。それでゲータレードをグワーって飲んで、またベースをグオーって弾いて(笑)。テンポを変えたりしながら「次はラテンの練習だ」「今度はスウィングだ」って。そういうことをずっとやってました。

› 後編に続く

 
日野が所有するフェンダーベースのコレクション
 
Why We Play

「プレベが2本で、ジャズベが5本、どれもみんな好き。このイエローボディは70年代のフェンダージャズベ。この色、買う時はリフィニッシュされているのかと思ったのだけど、どうやら“インターナショナルカラー”というのがあるらしく、当時ヨーロッパだけで作られたカラーモデルらしいんだ。日本で持ってるの、おそらく俺だけなんじゃないかなあ。プレベなら写真では見たことあるけど、ジャズベは写真でも見たことがない。もしかしたら持っている人もいたかもしれないけど、今はリフィニッシュしちゃっているかもね。とにかく、すごく気に入ってる。こっちのプレベは76年。ちょっとネックが細めなんですよね、ジャズベみたいに。でも根本はちゃんと太くて。(弾き始める)ほら、アンプを通さなくてもちゃんといい音するでしょ?」


日野賢二
幼少の時、父である日野皓正(トランペッター)とともにNYに移住。9歳よりトランペットを始め、16歳でベースに転向。17歳の時、ジャコ・パストリアスに師事する。19歳よりプレイヤーのみならずミュージックディレクターとしてプロ活動を開始。89年にはアポロシアターのハウスバンドの一員として出演。その後、父の日野皓正や叔父の日野元彦のアルバムに参加したり、NYブルーノートなどのライブハウスを中心にベーシストとして活動。2003年、アルバム『WONDERLAND』でのデビューを機に本拠地を日本に移して活動している。

› 日野賢二フェイスブック:https://www.facebook.com/kenji.hino