#FenderNews / Story of Eric Clapton Signature【後編】

Story of Eric Clapton Signature【後編】

eric-clapton-signature-story

今でこそエレクトリック・ギターの頂点に君臨するストラトキャスターだが、1960年代前半のサーフミュージックの台頭によるフェンダー・ジャガー、ジャズマスターへの人気偏向、さらに60年代半ばのビートルズを頂点とする英国勢の侵攻により、ストラトは製造中止寸前にまで追い込まれた時期があった。それを救ったのがジミ・ヘンドリックスの登場である。

しかし現在のストラト隆盛の基を築いたのが、エリック・クラプトンであったことは誰にも否めない事実だ1969年末の工リック初のソロアルバムで使用されて以来、ストラトは常に工リックの傍らに居続けている。

もはや工リックの分身ともいえる彼のシグネチャー・ストラトが、2001年秋、13年振りにモデル・チェンジされた。この好機に、このギターに関するフェンダーの内部記録を再構築して、エリック・クラプトン・ストラト製作にまつわるインサイド・ストーリーの決定版をお届けします。


"ブラッキー"登場 エリックのギターを製作したマスター・ビルダー達
 

クラプトン・シグネチャー・ストラトが正式に発売されたころまでに、カスタムショップのマイケル・スティーヴンスはエリックのために、キャンディ・グリーン(当時は7アップ・グリーンと呼ばれていた)を含む数本のバックアップ・ギターを製作している。そして1989年にカスタムショップに加わったビルダーが、日本でも人気の高いジェイ・ブラックである。ジェイはジェフ・ベックやリッチー・サンボラのプロトタイプ製作を手がけていたが、ある日ダン・スミスから「エリックのためにブラッキーを作ってくれないか」と依頼された。ジェイはそれを受け、早速ネックの仕様 をジョージ・ブランダとマイケル・スティーヴンスから聞き取り、"ブラッキー"の製作に取り掛 かっている。出来上がった2本のギターを持って、新しいツアーのためにマイアミにいたエリックを訪問したジェイは、その場で"ブラッキー"のレギュラーラインでの生産許諾をもらっている。こうして"ブラッキー"がクラプトン・ストラトのラインアップに加わったのである。ジェイはさらに工リックのためにさまざまな試作を行っている。例えばハードテール(ノントレモ口のため、シンクロナイズ・トレモロ搭載のためのボディ掘込みがない) のストラトも製作したが、エリック自身がスティールのトレモロ・ブリッジ のサウンドを好んだため使用されなかった。また、ジェイは工リックのオーダーで2本のテレキャスターも製作している。 次にエリックを担当したマスター・ビルダーは、ラリー・ブルックスである。ラリーは エリックのために初めてのホワイトのクラプトン・シグネチャー2本を製作し、さらに2本のブラッキーも製作している。また彼はエリックのために新しい形状のネックや、テキサス・スペシャル・ピックアップを搭載したホワイト・ストラトも試作している。

次にラリーから工リックのギター製作を引き継いだのがマーク・ケンドリックである。マークがまずエリックのために製作したギターが、4本のメルセデス・ブルーのシグネ チャー・ストラトであった。その内の2本は、ゴールドのギターに取って代わられるまでエリックに使用されている。

クラプトン・シグネチャー・ ゴールド・ストラト
 

エリックのためにマーク・ケンドリックが製作したギターの中でも、ハイライトとなったのが有名なゴールド・ストラトである。1996年以降、エリックのメイン・ギターとして使用されたため、ご存知の方も多いことだろう。このギターが作られたのは、次のような経緯からだった。

当時カスタムショップにいたジョン・ペイジに、エリックのロード・マネージャーであるリー・ディクソンから、エリックがフェンダー50周年記念ストラトを探しているとの連絡が入った。しかしエリックが望んでいたのは、50周年ストラトよりもっと「エレガント」なギターであった。そこでジョンとマークが相談をし、エリックに相応 しい50周年アニバーサリー・ギターを新たに製作しようということになったのである。ジョン・ペイジがまずプロトタイプのボディを作リ、ジョージ・アミケイに引き継いだ。アミケイはフェンダーカスタムショップで、彫刻を専門としたマスター・アーティザン・ウッド・カーヴァーである。アミケイは、23カラットの金箔を手作業で丹念にボディに貼りつけていくという、美術品や家具などの装飾に何世紀にもわたって伝統的に用いられてきた手法を使って仕上げでいったのである。そして最後にボリウレタンにてコートされた。一方、ネックはマーク・ケンドリックがフィガード・メイプルから削り出し、ボディへの組み上げ作 業をして最終的な仕上げを行った。出来上がったこのギターは、基本的にはボディの仕上げ、およびゴールド・プレートされたハードウェア以外は、通常のクラプトン・シグネチャー・ストラトと全く同じ仕様であった。

このゴールド・ストラトがエリックに手渡されたのは1996年秋である。しかしエリックはこのギターにさらに手を加えようとしたようだ。例えば、まず磨き出されたゴールド・プレートのピックガードやアードウェアが付けられ、続いてそれらはサテン仕上げに偏向され、最終的にシングル・プライの白ピックガードと光沢のあるゴールド・プレート・ハードウェアに落ち着いた。エリックはこのギターを非常に気に入ったようで、その後1年感ほど彼のメイン・ギターの座を守り続けている。

クラプトン・ストラト、モデル・チェンジ
 

マーク・ケンドリックに代わってエリック担当ビルダーとなったのは、トッド・クラウスである。 彼の最大の貢献は何と言っても、クラプトン・シグネチャー・ストラトのモデル・チェンジである。以前よりフェンダーは、テキサス・スペシャル付きのクラプトン・ストラトやレギュラー・ラインの57ヴィンテージ・ストラト等、エリックに対して新しい提案を続けていたが、フェンダーR&D(研究開発部門)で開発された"ノイズレス・ピックアップ"を搭載したシグネチャー・ストラトを提案したところ、工リックにヒットしたというわけである。

このノイズレス・ピックアップは、ビル・ターナーを中心としたフェンダーR&Dチームが3年の製作期間を要して開発したもので、フェンダー特有の美しいシングルコイルのトーンを残したまま、ハム・キャンセル機能を追加できないかという発想から生まれたものだ。この画期的なピックアップの構造を簡単に説明すると、通常のハムバッカー・ピックアップは2つのコイルが横並びになっているが、それを縦に積み、ハム・キャンゼル機能を持たせたまま、上のコイル部のみをサウンドソースとすることでシングルコイル・ピックアップのトーンを生み出すことができるのである。

トッド・クラウスは、エリックのために2本のノイズレス・ピックアップ搭載シグネチャー・ストラトを製作しており、1本は通常のブラッキー仕様、もう1本はニューヨークの著名なグラフィティ・アーティスト、Crashによるグラフィックが描かれたストラトであった。また、工リック本人による「自分のギターは、カスタマーがショップで購入できるギターと同じ仕様にしたい」という配慮から、プレーン・ネックのギターとなっている。この2本は2000年末にはエリックに手渡されていたようで、実際にステージで使用されたのは、2001年1月19日にニューヨーク、カーネギーホールにて開催された慈善コンサートからで、当時は、Crashによるグラフィックが描かれたストラトがメイン・ギターとなっていた。

2001年のthe Reptile ツアーではバックアップを務め、同年6月23日のマディソン・スクエア・ガーデン公演、その後の来日公演でも使用されたFlip Flopカラー(日本ではマジョーラカラーと呼ばれていた)に仕上げられたストラトもトッド・クラウスによって製作されたものだった。

こうして工リックの承認を経て、ノイズレス・ピックアップが標準装備されたシグネチャーへモデル・チェンジが正式に発表されたのが、2001年7月末にナッシュビルで開催されたNAMMショーに於いてであった。その仕様変更点はピックアップのみであり、その他は全て以前のままである。現在のこのクラプトン・シグネチャー・ストラトこそ、エリック・クラプトンの夢のギターを具象化したものなのである。

2004年1月のNAMMショウにおいてフェンダーのトップ・ザ・ラインであるカスタムショップよりエリック・クラプトン・シグネイチャー・ストラトキャスターが発表された。この時ラインナップされたカラーは、1990年代にマーク・ケンドリックがエリックに渡した4本のブルーのストラトの中から最終的にエリックが気に入った2色(メルセデス・ブルー、ミッドナイト・ブルー)、そしてブラックであった。マスター・ビルダー達がエリックのために製作したギターと同一の機械や工具を用い、製造工程までをも彼らによって定義づける事によってクラプトン本人の配慮を実現化したのである。リー・ディクソンとの綿密なリレーションによってリバイスされたネック形状(ロー・ポジション側がVシェイプでハイに行くにつれてCシェイプに変化)は多くのプレイヤーを魅了した。

2004年6月、オリジナルのブラッキーがオークションにかけられ95万9500ドルで落札、これは当時最も高価なエレクトリック・ギターとして話題となった。収益はクラプトンがアンティグア島に設立したアルコール薬物依存治療施設クロスロードセンターに寄付された。

その後、2004年後期から2007年にかけてCrashがギター・ボディにアートワークを施しトッド・クラウスが組み上げるコラボレーション・ストラトが50本限定で製作され、世界中で話題となった。

2006年、フェンダーはクラプトンの承認を得てブラッキーの復刻を決定。同年11月にカスタムショップより完全復刻モデルが世界限定275本発売された。当時日本では200万円台後半で販売された。 2008年の10th Anniversary Crossroads Antigua Stratocaster(国内正規品未入荷)、2009年には、当時メインとして使用していたECグレーと2009年来日公演でも使用されたダフネ・ブルーのストラトを期間限定で発売し、2013年に愛しのレイラのオリジナル・レコーディングで使用してたことでも知られる“ブラウニー”の愛称で親しまれていた1956年製ストラトキャスターの完全復刻器がカスタムショップより100本限定で発売された。

2016年には、カスタム・アーティスト・シリーズにトーン・サンバーストとエイジド・ホワイト・ブロンドが新たにラインナップに加わる。クラプトンよりバディ・ホリーが弾いてたストラトのようなサンバースト・カラーのリクエストがあったため、センター部の発色具合を考慮してアッシュ・ボディを、さらに1989年にリリースされたアルバム『ジャーニーマン』にちなんで、当時フェンダーカスタムショップが新たに開発したジャーニーマン・レリック加工を採用した。

そして2018年、カスタムショップからまた新たなシグネイチャーモデルが登場する。

› 前編はこちら


関連コンテンツ

› Meet the builders - Todd Krause
› FENDER CUSTOM SHOP THE 2017 FOUNDERS DESIGN PROJECT: MICHAEL STEVENS
› FENDER CUSTOM SHOP THE 2017 FOUNDERS DESIGN PROJECT: J.W. BLACK
› FENDER CUSTOM SHOP THE 2017 FOUNDERS DESIGN PROJECT: MARK KENDRIK
› FENDER CUSTOM SHOP THE 2017 FOUNDERS DESIGN PROJECT: JOHN PAGE