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べっこう製のピックとピックガード、それって本物?

べっこうの歴史、そしてギターとベースとの関係について

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半透明で翳りを帯びたべっこうは装飾品として、何千年にも渡って世界中の職人たちから愛されてきました。過去にはジュエリー、インレイ、ピケ、宝石箱やケースといったアンティーク品に用いられたほか、薬としても消費されていたべっこうは、近年までは眼鏡やサングラスのフレーム、櫛やブラシ、編み物用のかぎ針(本物のべっこうは静電気に強い)等に使われていました。そして楽器の分野においても、べっこうを用いたものは少なくありませんでした。

特にアコースティックギターのプレイヤーの間では、トーン、耐久性、弦と接触した際の感触、そして持ちやすさといった点において、本物のべっこう製ピックは高い人気を誇りました。べっこう製のピックは20世紀には広く使用されていましたが、1920年代に登場した安価なセルロイド製ピックの普及、そしてべっこうの商業取引が禁じられたことを受け、その流通量は減少していきました。

世界中で何百年にも渡って捕獲され続けてきたウミガメ類は、べっこうの原料となるタイマイを含め(1996年に絶滅寸前であることが判明)、そのすべてが1960年代初頭に絶滅危惧種に指定されました。1973年に制定されたワシントン条約は、本物のべっこうの商業取引を全世界で禁止しました。アメリカでは絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律によって、タイマイの取引はとりわけ厳しく監視されています。にも関わらず、海外では現在もウミガメ類が捕獲され続けています。

ワシントン条約の制定前から、より安価なセルロイドを用いたべっこう柄の製品を発表していた企業もありました。フェンダーはそのひとつです。


Fender Faux Tortoiseshell Pickguardの変遷

フェンダーのべっこう柄ピックガードに、本物のべっこうが用いられているものは存在しません。違法であるばかりでなく、もろく、高価であるという点においても、本物のべっこうを使用することにはメリットがなかったのです。

1950年代、フェンダーはピックガードの素材について研究を重ねていました。最初期のEsquireにはホワイトのファイバーボードが、そして1950年代初頭の”Blackguard” Telecasterと元祖Precision Bassには、それぞれブラックの”Phenolite"ファイバーボードが使用されていました。

1954年に登場した初代Stratocasterには、1プライのホワイトのプラスチック製ピックガードが採用されました。1956年に発表された学生向けモデルのMusicmasterとDuo-Sonicシリーズ、1957年発表のPrecision Bass、そして58年に登場した初代Jazzmasterには、ゴールドアノダイズドアルミニウムのピックガードが採用されていました。

べっこう柄のピックガードは1959年に登場して以来、不動の人気を誇ってきました。最近では2013年のJazz Bassモデルに採用されています。

べっこう柄のピックガードがお披露目された1959年、フェンダーは大半のモデルのアップデートの際に、セルロイド(その時点から約100年前に発明された、世界初の準人工プラスチックとして特許を取得したニトロセルロースの名称)のマルチプライピックガードを採用しました。TelecasterとStratocasterには3層式(ホワイト/ブラック/ホワイト)の「ニトロ」ピックガードが、そしてPrecision Bass、Electric Mandolin、Jazzmasterには、ホワイト/ブラック/ホワイトのレイヤーのトップにべっこう柄を用いた4層式のピックガードが採用されました。

しかし、セルロイドには欠点がありました。極めて可燃性が高いだけでなく、縮んだり歪んだり、ひび割れが入りやすいという傾向があったのです。フェンダーは1965年に、マルチプライのピックガードに用いられる素材を、より信頼度の高いタイプのプラスチックに変更したものの、トップのべっこう柄の部分だけは、それまでと同様にセルロイド製となっていました(その傾向は今日まで続いています)。べっこう柄のトップのレイヤーが縮むと、その下に隠れているプラスチック製のレイヤーを巻き込みながらボール状に変形してしまうため、60年代のフェンダーのデザイナーたちは、ピックガードを固定するネジを増やすことでその問題を解消しました。


Fender Tortoiseshell Pickの変遷

フェンダーのロゴがプリントされたべっこう柄のピックは、1955年にお披露目されました。

ニューヨークに拠点を置くD’Andrea社が生産を担当したそのピックには、thin、medium、heavyの3タイプが存在しました。それらはすべてセルロイド製であり、本物のべっこうが使用されているものは存在しません。

言うまでもなく、フェンダーはそれ以前にもオリジナルのピックを作っており、その大半はセルロイド(カタログ等には「Viscoloid」という表記を使用)製でした。D’Andrea社は1922年からセルロイドのギターピックを生産し始めますが、セルロイドのマンドリン用ピックは1800年代から存在していたとされています。べっこう柄のセルロイド製ピックについては、D’Andrea社が1932年もしくは1928年の時点で、様々な形や色のものを提供していました。

では、フェンダーのピックの中に、本物のべっこうで作られたものは存在するのでしょうか?

驚くべきことに、その答えはイエスです。1950年代半ばに、フェンダーは本物のべっこうを使用したピックを少量ながら販売しています。D’Andrea社が生産し、ごく短期間の間に流通したそのピックは無地であり、フェンダーのロゴが見られませんでした。

1955年以前に、フェンダーはニック・マノロフにセルロイド製ピックを提供していました。ミュージックインストラクターでもあったギタリストのマノロフの名前を冠したピックは、1930年代初頭から見られたD’Andrea社のNick Lucas 351と同じものでした(1920年以前は指弾きや親指に巻きつけるタイプのピックが主流でしたが、ジャズギタリストのニック・ルーカスは、フラットピック奏法を世に広めました)。

D’Andrea社は351を含む各種ピックの特許を取得していなかったため、同じモデルは他社からも多数発表されていました。設立から間もなかったフェンダーもまた、自社の351ピックを作っていました。

フェンダーとマノロフのパートナーシップが解消された経緯については、ウィル・フーバーが1995年に発表した著書『Picks! The Colorful Saga of Vintage Celluloid Guitar Plectrums』で語られています。

「フェンダーがマノロフとのパートナーシップを解消した原因は、同社のトップが出席した東海岸で開催されたトレードショーの際に、マノロフが一切ピックを持参しなかったことだとされている。同じくブースを出展していたD’Andrea社は事情を察知し、無償で多数のピックの提供を申し出た。この出来事がきっかけでフェンダーとD’Andrea社はタッグを組むようになり、今や業界基準となったミディアムの351ピック、通称『フェンダーピック』が誕生したと言われている」

フーバー氏はそのエピソードの真偽は定かではないとしつつも、同書でこう述べています。「D’Andrea社は1955年に、フェンダーのロゴが入った351ピックを含む、形や厚みの異なる様々なピックの生産を正式に請け負った。中でも『サイドマンピック』の愛称で親しまれるミディアムのフェンダ−351ピックは、同分野におけるスタンダードとしての地位を確立した」

同時期に出回った本物のべっこう製ピックの生産が中止された時期は定かではありません。しかし、フェンダーのロゴがプリントされた安価なべっこう柄ピックが急速に人気を獲得していったことからも、本物のべっこう製ピックが出回ったのは最長でも数年間と考えられています。