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Greta Van Fleetが語る、自分たちに影響を与えたものと楽器の持つ“本質”

Greta Van Fleetのジェイク・キスズカとサム・キスズカが、オーディエンスとのつながりの重要性について語り、ジェイクの腕の骨折がギターの上達につながったエピソードを明かしてくれました。

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Photo by TRAVIS SHINN

Greta Van Fleetは比較的短期間のうちに、世界で最もホットで勢いのあるバンドの地位をものにしました。

スラッシュ、ジャスティン・ビーバー、エルトン・ジョン、トム・ハンクス(!)といった影響力のある有名人から認められたミシガン州フランケンムース出身の若き4人組にとって、2018年は間違いなく目まぐるしい年だったはずです。彼らはメジャーな音楽フェスに名を連ね、北米と欧州のヘッドライナーツアーをソールドアウトしました。

当時はまだフルアルバムをリリースしていなかったグループにとって、全く悪くない状況といえます。

Greta Van Fleetは、双子ジョシュとジェイク(22歳、ギター)に、弟のサム(19歳、ベース/キーボード)のキスズカ3兄弟に加え、ドラムのダニー・ワグナー(19歳)の4人で構成されています。彼らは文字通り栄誉を勝ち取ったのです。しつこいくらい繰り返すリフ、叩きつけるリズムセクション、泣き叫ぶヴォーカルを擁するGreta Van Fleet。爽快かつ誇らしげに、ブルージーなアリーナ向きのロックンロールを牽引しています。

キスズカ兄弟は両親の影響で、クラシックロック、ソウル、ブルーズを聴いて育ちました。そのため、中学生になるまでモダン“ポップ”に触れる機会はなかったのです。これらの影響は、最初の2枚のEP『Black Smoke Rising』と『From the Fires』によく現れています。ここから、BillboardのMainstream RockチャートのNo.1シングル『Highway Tune』と『Safari Song』が生まれたのです。

ヴィンテージの服を着て、サンプラーに頼らず自分たちで楽器をプレイするGreta Van Fleetの強烈なライヴでは、バンドが影響を受けたバックグラウンドの雰囲気を感じることができ、彼らの歴史に伝説がまた加えられたのです。さらに、これからリリースされるデビューアルバムへの期待も一層高まっています。

「自分たちの目指すものから見れば、2枚のEPはひとつの島のようなもの」とジェイクは言います。「フルアルバムは本当にエキサイティングだ。俺たちは精一杯両腕を広げ、伸び伸びとクリエイティヴに打ち込めた。アルバムに対する反響は気にならない」

慌ただしいスケジュールの中、Greta Van Fleetのジェイクとサムのキスズカが、自分たちが影響を受けたもの、ライヴでプレイすることがますます重要になってきた理由、ジェイクが腕の骨折を乗り越えギタリストとして成長した過程などを語ってくれました。


 
 
 

ジェイク:「物心ついた頃からギターをプレイしていた。言葉と同じで、成長しながら覚えていったんだ」

「父親は主にブルーズハープを吹いていたが、ギターも弾いた。俺は父親が放置したギターのところへ這って行き、よく遊んでいた。母親は、子どもたちが楽器を壊さないかと心配して父親へ片付けるように言っていたが、彼は俺たちがすぐに飽きると思っていたようだ。ところが俺は飽きるどころか、ギターのミステリーにのめり込んでいった」

サム:「最初に覚えたいと思った曲は『I Heard It Through the Grapevine』で、今でもあのベースラインは自分の中でベストだ」

「俺がベースを始めたのは12歳か13歳の頃。父親がよくジャズバンドでドラマーをしている友だちを家に連れてきて、助手が一緒になって歌ったりしていた。母親は俺が“ベースプレイヤーに向いている”なんて言い始めたんだけど、それはたぶん、俺をバンドに加わらせて何かをさせたかったんだと思う。父親が安いP Bassタイプを持っていたから、俺はそれを弾き始めた」

ジェイク:「俺がエレクトリックギターを持つ資格があるってことを父親にわからせるために、俺は何曲も覚えなきゃならなかった」

「幼い頃から家にあり、一緒に育ってきた安っぽいアコースティックギターを俺は弾いていた。アコースティックからエレクトリックへとアップグレードするためには、ジミ・ヘンドリックスやボブ・シーガー、ゴードン・ライトフット、ボブ・ディランなんかの曲をたくさん覚えなければならなかった。俺が10歳かそこらの頃だ。考えてみるとそれは計画的で、緻密にちゃんとした弾き方を覚えるためのやり方だった。今思えば、早い時期にエレクトリックギターを手に入れてしまっていたら、ゲインをフルにしてただ弾きまくっていただけだったろう。そこには緻密さのかけらもなかったと思う」

ジェイク:「アコースティックギターが全ての基本だと思う」

「ボディは木製で、弦はスティール製。ほとんどのブルーズ・ギタリストたちもアコースティックからスタートしている。俺は、父親のブルーズ・ミュージシャンぶりやブルーズに敬意を払う彼の姿を見て育ったが、彼は本当に自分から何かを学んで欲しいと思っていた。父親と一緒に、ロバート・ジョンソンRやビッグ・ビル・ブルーンジーなどの古いブルーズをよく聴いた。俺はアコースティックギターを持ち、ピックは使わずに指で曲をコピーしようとしていた。早い内にアルペジオを覚え、それからボブ・ディランやジョーン・バエズのようにかき鳴らす弾き方も覚えた。その時の練習のおかげで、ギタリストとして上達したんだ」


 
 
 

サム:「ジャック・ブルースからロック・ベースの弾き方を学んだ」

「最初の頃はベースのフィルを修得するのに苦労した。多くの人はただコード進行に沿ってプレイするが、ジョン・エントウィッスル、ジェームス・ジェマーソン、ジャック・ブルースなどは、実際のパートに加え、スペースをクリエイティヴに使っている。ベースを始めて1年ぐらい経った頃にそれに気づいた。本当にシンプルなことなんだ。“音符の間にこうやって弾くのか? こうやって上昇するのか?”といった感じさ。ベース・プレイヤーとして大切なのは、曲の流れは維持しつつ自由な発想で弾くことさ」

ジェイク:「成長する過程には、壁にぶち当たり、これ以上上手くなれないと思うような時もある。ドラスティックに進歩しようとしている時でないと、そのことには気づかないものだ」

「ソロの弾き方を学ばなければいけないと思ったり、リックで歌いたいと思ったり、それらは俺が自分に与えた課題だった。特にエリック・クラプトンからは学ぶところが多かった。自分のやりたいことが何なのかはっきりした時、世界が開けた。水門が開き、自分なりのアプローチというものが見えたんだ」

ジェイク:「余分なものを削ぎ落としてプレイすることで、ミュージシャンとしての本質が明らかになる」

「俺は何でもすぐに使い切ってしまう。PAF(ピックアップ)も使っていたギターからの使い回しだし、ペダル類も必要最小限だ。自分のプレイ能力を引き出すペダルの使い方は、俺の自慢だ。そのようなテクニックの多くは必要に迫られたもので、ギターとアンプを通って出てくる。最も根本的なものだ。自分の心と魂から出たものが、自分の指を通ってオーディエンスへと伝わっていくんだ」

サム:「人が何世紀にも渡りずっと行ってきたのは、道具を利用すること。それこそが楽器の重要性につながるものだ」

「人間は、進化と本能の生きものだ。鉄や木を手にし、それらの使い方を学んだ。そうやって音楽も発展してきた。弦楽器に限らず、こんなにもわかりやすいものはない。しかしその伝え方もまた重要だ。俺たち世代にとっては特に、音楽は我々を密接に結びつけるものだ。実際に自分だけでは作ることのできないものだ。自分の魂の底から弦を通って人々へと届くような本物でなければならない。コンピューターを使うと、その要素が失われてしまうと思う」


 
 
 

ジェイク:「中学2年生ぐらいの時、レスリングをしていて腕を骨折した。もう二度とプレイできないんじゃないかと本気で思った」

「腕にプレートが埋まっているんだ。腕を骨折してから3日後ぐらいに手術を受けて、半年ほどギプスをしていた。ギターを弾いてみようと思った俺は地下室へ行き、父親の道具を使って手の下の部分のギプスを削ったが、ギプスの裏側は残しておいた。医者が言うには、筋肉強化に役立つだろうとのことだった。ギプスが外れるまでそのままの状態にしておいた。ギプスが取れた時、全部のフレットを押さえられるようになったんだ」(と言ってジェイクは親指から小指を広げて見せた)

ジェイク:「自分ではベースが弾けるようになるとは思っていなかった。他人に勧められたから始めたんだ。誰でも試しにやってみるべきだ」

「全ての親たちに言いたい。もしも自分の子どもたちに音楽を理解させたいと思うなら、家に楽器を置いておくことだ。誰でも音楽を奏でることはできる。あとは目標に向かって突き進むだけだ」