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TURNING POINT OF PERFORMER VOL.12

三原健司 | フレデリック

TURNING POINT OF PERFORMER

自分や仲間だけで演奏している“プレイヤー”から、オーディエンスを相手にして演奏する“パフォーマー”。同じ演奏だが、何かが違うはずだ。日本のロックシーンを熱くしているパフォーマーたちは、どうやって“プレイヤー”から“パフォーマー”へとステップアップし、また、パフォーマーであることにどんな魅力を感じているのか。TURNING POINT OF PERFORMERと題したシリーズ最終回は、フレデリックの三原健司(Gt,Vo)に話を聞いた。

気持ち良い感覚が忘れられなくて、今もバンドをやっているところはある
 

― バンドを始めたきっかけは?

三原健司(以下 三原)  小学生の頃から康司(実弟)とずっと一緒にスポーツをやっていて、中学校でも一緒に陸上部に入ったんです。でも、中学2年の頃に康司が陸上を辞めて軽音楽部に入ったんですよ。ずっと双子で一緒にやってきた康司が、初めて1人で楽しみを見つけたんです。僕も歌うのは好きだったんですけど、人前で表現したことはなくて。康司は最初からギターではなくベースを始めたんです。中学3年の11月に文化祭があったんですけど、中学の軽音楽部だとギターやヴォーカルをやりたい人がめちゃくちゃ多い。ベースの志望者は少なくて、軽音楽部にはベースが康司1人しかいなかった。文化祭には4バンドくらい出演したんですけど、ベースはすべて康司が弾いたんです。康司が活躍していたステージを観て、音楽を聴くことは日常の中にあったけど、音楽をやるってめちゃくちゃ楽しそうだなって思ったんです。康司もすごくイキイキしていて、僕が見たことのないような表情をして楽しんでいるのを見て、今まで俺の中にはなかった楽しみなんだろうなって。それに影響されて、高校は軽音学部がある学校を選び、高校の軽音楽部から音楽を始めました。

― 軽音楽部でギターを?

三原  軽音楽部の時もギターは遊び程度で触ってはいたのですが、真剣にギターをやろうと思ったのは、音楽専門学校でフレデリックを始めてからです。専門学校ではヴォーカルを専攻していたんですけど、歌に集中しすぎて体に力が入っちゃって固い歌になってしまう。でも、ギター&ヴォーカルをすることでギターに集中するぶん、歌に対する重圧が軽くなって声がすごく出るようになりましたね。

― なるほど。人生最初のステージは軽音楽部としてですか?

三原  初めて人前で演奏したのは中学3年の卒業前で、軽音楽部としての初ステージは高校1年の6月です。軽音楽学部に入ってからは有志でバンドを組んだり、ピアノを弾ける友達と一緒にピアノと僕の歌でやったり。めっちゃくちゃ気持ち良かったんですよ。中学の頃、みんなでカラオケに行った時に“上手い”と言われる事は多くて。でも、カラオケで歌うのとは大違い。600〜700人の学年集会での演奏だったのですが、ひたすら気持ち良くて。その感覚が忘れられなくて、今もバンドをやっているところがあります。去年末、COUNTDOWN JAPANに出させてもらいましたけど、大勢の前で演奏を見せられるのは楽しいなって、当時の感覚と変わらなくて。ただただ楽しいという感覚で突き進んでいます。で、ステージで隣を見たら家族(康司)がおるし(笑)。

― 楽器を演奏することに対してはどうでした?

三原  今は周りに音楽をやっている人がいるので当たり前ですが、当時は“楽器を弾ける人なんだ”って認識してもらえることが気持ち良かった。野球やサッカーをやっている人はたくさんいましたけど、バンドや音楽という面白いことを俺たちはやっているんだよっていうのを見せられるものがギターだったし、自分のアイデンティティを見せられたのはすごく楽しかったです。

― ライヴハウスデビューはいつですか?

三原  高1の時です。軽音学部は外に出て演奏する機会があまりなくて、年に一度の文化祭が大きな演奏の場だったのですが、それだと学校内でしか評価されないですから。学校の中での見られ方は変わるけど、純粋にミュージシャンとしては見られていない。“三原健司が音楽を始めた”っていうだけの話で。だから、高1の冬にはライヴハウスで演奏をしていました。初めはコピーばかりでしたけどね。

― ライヴハウスでの最初の演奏を覚えていますか?

三原  めちゃくちゃ覚えてますよ。当時はコピーバンドをやっていて、曲の前奏でリズムに合わせて1人ずつメンバー紹介をしていたんです。“ベース康司! ギター隆児!”みたいな感じで。でも緊張しすぎて、ドラムの子に“ヴォーカル○○”って言ってしまったんですよ。しかもそれが1曲目で、そこからグダグダになって。足下にカンペを貼るのはダセェと思って全部頭に入れたけど、できないのに見栄張って、結局は頭が真っ白になってぐちゃぐちゃになりました。お客さんはお金を払って観に来ているので、厳しい目で見られるのは当たり前で、“何してんのコイツら”みたいな感じでしたね。今だから笑えるけど、当時はそのまま帰ろうかなと思いました(笑)。

― でも、その後もライヴハウスに出たわけですよね。何がそうさせたんだと思いますか?

三原  ただただ楽しかったっていうのは大きいですね。ひどいライヴをしてしまったけど、“若くて良かったよ”“まだまだやれるよ”って言葉をもらえたんです。オーディエンスの1人1人が初めて会う人なのに、そういう言葉をかけてくれたのはすごく嬉しかったし、単純に認められたいという気持ちもあって、それを満たしてくれるものが音楽なんだと気付きました。

― 大きな気付きですね。

三原  はい。コピーバンドを始めてからライヴハウスに出はじめたんですけど、それから康司がオリジナル曲を作り出してオリジナルを演奏するようになると、“コピーばかりやっていたから気が付かなかったけど歌上手いんだね”という評価に変わって、オリジナルをやることへの楽しみも増えていきました。

― 高校を卒業して音楽専門学校へ進もうと決意したのは?

三原  小学校の頃からバカみたいに真っ直ぐで、“俺にはこれしかないんだ”と思ったらそれにしか突き進まない性格なんです。中学の頃に将来の夢を考えた時に、夢を持ちたいなって思ったんです。その夢に一生をかけたいなと思った時に、やりたいことをやるんじゃなくて、自分の中でできることを伸ばしていこうと考えました。陸上もやっていたけど、速い人はたくさんいるし、自分は速いほうではないと理解していたので中学校で辞めようと思っていたんです。カラオケで歌上手いねって言ってもらって、俺はこれでメシを食っていこうという気持ちになり、高校の先生にも“音楽でやっていきたいんです”って話をしていましたね。

― 才能とは夢を見続ける力だと誰かが言っていたのを思い出しました。デビューのきっかけは?

三原  フレデリックを結成してから3〜4年は、自分たちが気持ちいいと思える音楽を広げるために、ただただいろんなライヴハウスに出ていました。当時からいろんな音楽性を持っていたので、ライヴハウスのブッキングの人にも“どのイベントに入れていいのかわからない”と言われてましたね。“じゃあどこにでも入れてください”と言って、ハードコアや逆に歌もののジャンルに入れてもらったり。ある程度自分たちのやりたいことも見えてきたし、曲も増えてセルフプロデュースもしてきたから、これを世間に見せた時にどう反応してもらえるんだろうって。2012年の1年間、小さいものから大きいものまでオーディションを受けまくったんです。その中のひとつが今の事務所のオーディションでした。

― なるほど。

三原  オーディションを受けるまでの下積み時代は、ただ自分たちが楽しいものを追求していて何も考えていませんでした。ライヴハウスに行けば面白い音楽が鳴っているし、自分たちが面白い音楽をやればそれを受け入れてくれる人たちがいるし、とにかくライヴハウスに行けば楽しいものがあるから。
 僕たちは神戸の音楽シーンが面白いと思っていたんですけど、そのシーンだけにずっといるとそのまま沈んでいく気がしたんです。もちろんそこにキュウソネコカミや女王蜂といった仲間もたくさんいました。でもそこを脱していく人は、もっと広い場所に興味を持ち始めたり、世間に対してどう思うかを考えていましたね。ただ僕は、作戦を立てて進んでいくよりも、その環境にどっぷり浸かることによって気づいていくタイプなんです。それは軽音楽部の頃から変わらずで。“軽音楽部って楽しいな。でもこのままだと楽しみが学内でしか収まらないから、じゃあ外でやってみよう”という感覚と一緒でした。

― まずは楽しめる場所を作る。でもそこで埋もれないようにしたと。老婆心ながら、今の軽音楽部の人たちに贈りたい言葉ですね。

三原  軽音楽部での活動からライヴハウスに行くと、絶対に辱めは受けるんです。今はメジャーシーンにいて大きなステージにも立てていますが、もしライヴハウスに出ていなかったらここにはいないと思うんですよね。だから、絶対に外に出て音楽をやったほうがいいと思います。恥ずかしいかどうかは関係ない。僕は今29歳ですけど、それでも恥ずかしいと思うことはいっぱいあるので。まだまだ挑戦することはあるし、できないことのほうが多いです。でもやらないと、できるかできないのかもわからないし、恥ずかしいか恥ずかしくないのかもわからない。そして、わからないのが一番恥ずかしいと思う。不安かもしれないけど、絶対にライヴハウスには出たほうがいいと思う。コピーバンドでもいいし、軽音学部系のコンテストがきっかけで出会うバンド友達もいるだろうし、今はYouTubeとか自分たちでアピールできる場所はたくさんあるので、チャンスは本当に広がっている。やれることはやったほうがいいと思いますね。


AMERICAN PERFORMER TELECASTER® HUM

TURNING POINT OF PERFORMER

カリフォルニア州のコロナ工場で製造されるAmerican Performer Telecaster Humは、DoubleTap™ハムバッカーを搭載し、USA製フェンダーならではのオーセンティックなトーンとフィーリング、そしてフォーマンスにインスピレーションを与え新たな次元へと導くモダンスペックを随所にフィーチャーしています。

 

PROFILE


フレデリック
神戸にて結成された三原健司(Vo,Gt)、三原康司(Ba)の双子の兄弟と、赤頭隆児(Gt)、高橋武(Dr)で編成される4人組バンド。初年度MASH A&Rオーディションにて特別賞を受賞。独特なユーモア性、そして幅広い音楽的背景から生みだされる繰り返されるリズムと歌詞は中毒性が高く、“忘れさせてくれない”と話題になり、一筋縄ではいかないスタンスを持ったバンドとしてシーンを席巻。印象的なMusic Videoやアートワーク等楽曲以外のクリエイティヴも関心を集めている。また、ライヴならではの楽曲アレンジや多彩な演出でライヴバンドとしても定評があり、2019年4月からはバンド史上最長のツアーを開催。ファイナルは2020年2月、横浜アリーナでの単独公演を予定している。どのシーンにも属さない“オンリーワン”の楽曲とそのスタンスに注目が高まっている
› Website:http://frederic-official.com/