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Why We Play vol.4:野村義男 インタビュー【前編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜギターを選んだのか?そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。今回は、スーパーギタリストにして、ギター収集家としても知られる野村義男さんを迎えたインタビューの前編をお届けします。

Why We Play
予言は当たりましたね。
今は完璧に毎日テレキャスです!
 

―  現在、何本ギターをお持ちですか?

野村義男(以下、野村)   僕が所有するすべてのギターを掲載した写真集が出たのが2年前なんだけど、そのときが350本くらいで、写真を撮ったのである程度満足して売ったりプレゼントしたりしたから今は200本ちょいじゃないかな。だけど、売るとお金が発生するので、そのお金がギターに変わっちゃうのでさらに増えるんですよ。その増えた分だけで新しい本ができる状態になりつつあります。完全に病気です(笑)。

―  その中でフェンダーはどのくらいお持ちですか?

野村   トータルだとわからないけど、さっき言った最近の新しく増えた中だけでもTelecasterが3本か4本あります。僕の中で今Telecasterが炸裂してますね。

―  その"テレキャスター炸裂"のきっかけは?

野村   もともと初めて手にしたフェンダーがTelecasterなの。1980年に1978年製の普通のTelecasterを買って、それが"マイファーストフェンダー"。で、座っても立っても弾けるっていうエレキギターの元祖だからそこに戻りますね、絶対。1980年代に初めてフェンダーを触ってからいろんなモデルを買ったんだけど、ギターのことをもっと詳しく知りたいなって思っていたときに、スタジオミュージシャンの先輩から"お前はずっとギター弾くだろ?"って聞かれて"一生弾きます"って答えたんです。そしたら"そうだと思う。で、今何使ってるの?"って聞かれたんで"こんなギター使ってます"って答えたら、"ああ、そう。でもいつか必ずテレキャスに戻るよ"って言われたんです。そのときって僕が21歳ぐらいでハードロック全盛期で、僕もみんなと同様に改造したギターを使っていたのにも関わらず、そういう僕に"テレキャスに戻るよ"って。予言は当たりましたね。今は完璧に毎日テレキャスです!

―  改めてTelecasterの魅力って何でしょうか?

野村   フェンダーの創始者のレオ・フェンダーは、ラジオ修理のおじさんでギターを弾けなくて、ギターのことなんか知らないから"こんな形じゃない?"って作ったんでしょうが、結果的にベストでしたね。それが基準になって、未だに誰もそのデザインを超せないんだもん。そういう意味で究極のオーソドックス、あるいは究極の本物。だけど、今のテレキャスを弾くとわかるけどちゃんと進化しているんですよね。それってすごくないですか!

―  確かに。そして、野村さんはたくさんのヴィンテージギターも所有されていますが、古いギターを弾く魅力とは?

野村   例えば、そのギターにマイナスネジが使われていたりすると、それだけで当時の工業的な背景や歴史が見えるし、そこからどうやって楽器が発展したのかもわかって面白いです。あとは、僕の大好きな昔のロックスターたちは、みんな昔の、つまり当時のギターを使っている。その音をレコードで聴いて"かっこいいなー"と思っていたわけだけど、じゃあ同じ機材を揃えたら同じ音が出るのかなって思うわけ。もちろんそこには腕前がプラスされるんだけど、音だけは出るだろうって。で、出してみたくて当時の楽器や機材を揃えていく。例えばね、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジはファースト、セカンド、サードアルバムまでのほとんどをテレキャスでレコーディングしてるんですよ。ただしライブのときは違う。あの「天国への階段」のソロでさえそうだから。で、同じ機材を揃えて音を出してみたの。そうしたら…失神しそうでしたね。もうね、ジミー・ペイジが(ギターを弾く格好をして)ここにいるの! こんな幸せないもん!

―  何だかギターを集めたくなってきました(笑)。ところで、最初のギターとの出逢いは?

野村   小学校5年生くらいのときに、僕の姉がアコースティックギターを弾いてて。ちょうどフォークソングが流行っている時期だったの。僕は隣の部屋で静かにプラモデルを作ってたんだけど、従兄弟のお姉ちゃんからもう1本ギターを借りてきてギターが2本になって、姉ちゃんはソロを弾きたいってことでバッキングが必要になり、"ちょっとこっちに来い"と部屋に呼ばれて行って"ここを押さえろ"と無理やりコードを弾かされたのが出会いですね。ギター人生で最初に押さえたのがEマイナー。暗いよー(笑)。しかも指は痛いしうるさいしで、最初はギターを好きになれなかったんです。

―  では、ギターの魅力に取り憑かれたのは?

野村   Charがテレビでギターを弾いているのを見たときですね。途中でソロを弾いたの。カッコいいー!って。それからエレキギターを探して、中野、新宿と自転車で走り回って。相当カタログを集めたし。でも、メーカー的なものはまだ全然わからない。だから、エレキギターを知りたくてエレキのことを必死に勉強していくと、すべてのデザインには理由があったり…。とにかく、全部美しいんですよ、エレキギターって。で、弾くよりもエレキそのものが好きになっちゃったんですね(笑)。

―  (笑)。では練習はどんな風にしてきたんですか?

野村   面倒臭いことはしない。飽きるから。つまんないことはする。身になるから。だから、ドレミファソラシドは一日中弾こうよって思う。でも、フレーズとかスケールって面倒臭い。飽きるから。じゃあスケールを覚えるよりまずは指が動くようになればいいんじゃないってことで、いろいろと研究した結果、小指を使わないギタリストが多いので、小指を使えるようにしようと思って、昔から小指をすごく使うようにしています。そしたら意外と自由自在にいろんなことができるようになりましたね。なので小指の練習をオススメしますが、ギターを触わっていればきっと上手くなります。ギターが好きだったらきっと上手くなります。だって僕なんか、ギターを道具とは思っていないし。

―  では、野村さんにとってギターとは?

野村   ギターは僕の最大の癒しかもしれないね。どんなにつまんないときでも、猫が死んで悲しいときでも、ギターがあれば音を出せて心癒される。そういうものじゃないかなぁって思います。

› 後編に続く

 

野村義男
1979年、芸能界デビュー。1983年にはThe Good-Byeを結成。シングル「気まぐれONE WAY BOY」でデビューを果たす。その後、自身が中心となって「三喜屋野村モーター'S BAND」「三野姫」「Funk Rocket」「RIDER CHIPS」等を結成。1992年、ソロアルバム『440Hz with 〈Band of Joy〉』をリリース。1995年に自己のレーベル「PEGレーベル」を立ち上げる。現在は自身のバンド活動の他に、浜崎あゆみ、世良公則「GUILD 9」「音屋吉右衛門」、宇都宮隆「LIVE Ustu BAR」、田村直美「Sho-ta with Tenpack Riverside Rock’nRoll Band」など多くのアーティストにも参加している。

› 野村義男:http://www.pegmania.com/