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Why We Play vol.7:鈴木賢司 インタビュー【後編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜギターを選んだのか? そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。今回は、シンプリー・レッドのギタリストでもあるKenji Jammerこと鈴木賢司さんを迎えたインタビューの後編をお届けします。

Why We Play
キャリアを通して、自分は自分というところに落ち着きました
 

―  今日はTelecasterを弾いていただきながらの取材なのですが、ストラトを愛用していたKenjiさんがテレキャスを弾くようになったのはいつ頃ですか?

鈴木賢司(以下:鈴木)   Telecasterとの出会いは90年代ですね。アメリカに行った時にLAのサンセット・ブルーバードにあるギターセンターで偶然出会ったんです。子供の頃、ワーミーバーを使ってトリッキーなプレイをしていた時には、まさか自分がTelecasterを弾くようになるとは思ってもみなかったです。ワーミーバーを捨てる気持ちは90年代までなかったんですけど、実際にブラックピックガードのTelecasterを弾いたら、それまでの自分がイメージしていたTelecasterとはまったく違って太い音が出たんです。“あれ? こういう音がTelecasterってするんだ”と思って。それがTelecasterの魅力に目覚めた瞬間ですね。

―  テレキャスとの出会いは90年代だったんですね。

鈴木   90年代中盤なので、渡英した後ですね。

―  そう言えば18年は渡英30周年ですよね?

鈴木   そうなんです。それだけではなく、初めてアルバムをエピックソニーレコードからデビューさせていただいて35周年。そして、88年にイギリスに渡ってから30年。さらにシンプリー・レッドに加入したのが98年なのでちょうど20年という節目の年です。

―  そんなキャリアを経て、ギタリストとして一番大事にしていることは?

鈴木   ミュージカルであるということでしょうね。具体的に言えば、いい音楽を作りたいと思うし、いい音楽を奏でたいと思うということです。それと、これだけ長いこと世界を回っていると、世界中のいろんなギタリストと会って、いろんなスタイルを見てきました。すごいスピードで弾く人、すごいスキルを持ってる人、まったく考えつかなかったようなプレイをする人、すごく不器用なんだけど訴えかけられるように弾く人…いろんなギタリストに会いました。その結果は、やはり自分は自分というところに落ち着きましたね。このキャリアを通して。だから、諦めなくて良かったかなとは思いますね。もう俺なんかダメだ!と思うほど凄いプレイヤーにたくさん会ってきたけれど、それでもレコーディングセッションに呼ばれて、超一流のプロデューサーからグレイト!って言われたりしたので。

―  Kenjiさんほどのギタリストでも、他のギタリストのプレイを見て萎縮することもあったんですね。

鈴木   スティーヴ・ルカサーが楽屋に挨拶に来たことがあったんですよ。僕ら中学生、高校生の時からスティーヴ・ルカサーを聴いてたわけだけど、レストランで食事をしていたら、見たことがある人が僕の前に立って、“自己紹介をしてもいいかい? マイ・ネイム・イズ・スティーヴ・ルカサー”って話しかけてくるんです。もちろん知ってますって(笑)。で、“明日のフェスでは君らのバンドの前に出演させてもらうから、よろしく”って。よろしくも何もスティーヴ・ルカサーの出番の次に弾かなきゃいけなんだと思って(笑)。で、翌日、自分たちの出番の前、バックステージでスティーヴ・ルカサーのバンドの演奏を観たんです。ものすごい勢いで弾きまくって客も盛り上がって、熱いロックンロールを聴かされました。そして、彼らがステージから降りる時に、汗を拭きながら、“Hey men, I’ll check your play”って言われちゃいました(笑)。チェックするんだぁなんて思いながらステージに上がりました。

―  Kenjiさんの演奏はどうでした?

鈴木   いつもと変わらず演奏しました。例えば2015年~16年はシンプリー・レッドの30周年ワールドツアーで、35カ国で135本のライヴをやったんです。そうすると本当にほぼ毎日移動なんです。移動、演奏、移動、演奏、飛行機、演奏…。ヨーロッパのような地続きの場所だとずっとバスで移動です。だからバンドの一体感は日々どんどん進歩していく。ツアーだと、スタートして何カ月かするとバンドマジックが始まってくるんです。そうすると、ギタリストとしてどうこうじゃなくてさ、バンドとして俺たちは今すごいっていうことになる。だからスティーヴ・ルカサーが僕らの前に演奏しても、僕らは毎日やっている演奏をするだけなんです。今日はスティーヴ・ルカサーが僕のことを観てるからって、ルカサーに向かって突然“ヘイヘイヘイ!”って見せびらかすではなく、ただバンドの演奏をするだけなんです。

―  なるほど。

鈴木   ちなみにその時は、シンプリー・レッドではなくて、ミック・ハックネルのソロツアーだったんですけど、ちょっと長めのギターソロがある曲があって、前のほうに出ていってソロを弾きながら、ふとスティーヴ・ルカサーが観てるんだなって思いましたけど(笑)。ライヴはすごく盛り上がったんです。で、バックステージ戻る時に“Hey men!”ってルカサーにまた声をかけられて。“お前みたいに少ない音数で歌うギタリストを長い間見たことなかったから、すごく楽しんだよ”って言ってくれたんですよ。それで、僕もバンドの一員としてのギタリストになったんだなって実感できました。

―  深いですね。

鈴木   デビュー当時の話に戻ると、テレビのゴングショーに出たあの頃は自宅録音の機材が出たばかりの頃で、それでトラックを作って、それに合わせてギターを弾いたし、その前、つまり子供の頃も、今で言う“引きこもり”のハシリみたいに、一人で家でギターを弾くことに没頭してて、若い頃はバンドのメンバーになるなんていう気持ちは一切なかった。でも人生って面白いもので、自分が入るようなタイプのバンドじゃないと思ったシンプリー・レッドに入り、そしてギターのスタイルも年月とともにどんどん変わっていって、今はこういうミュージシャン、ギタリストになった。そうやってどんどんシチュエーションでスタイルって変わっていくものなんですよ。変わっていくことは、ある意味いろんな音楽を人生の中で楽しむことでもある。それは、スペイン料理って本場で食べるとこうなるんだ、イタリア料理の本場のモッツァレラのチーズってこうなんだ、ということだと思うんです。音って感覚なので。そして、音楽っていろんな音を聴いていい音だなって思うことなんですよ。そういう感覚の旅をしてきたんだなって今振り返ってみると思いますね。

エレキギターの発明はアートの世界の中で起こった一番のレボリューション
 

―  元々はヴァイオリンを弾いていたということですが、世界中にいろんな楽器がある中で、エレキギターの魅力って改めて何だと思いますか?

鈴木   エレキギターが20世紀にできた楽器の中で一番だし、エレキギターの発明はアートの世界の中で起こった一番のレボリューションだったと思うんです。その中で特にフェンダーギターが果たした役割は大きいです。というのは、フェンダーの創始者であるレオ・フェンダーはミュージシャンじゃなかったゆえに、工業商品的な視点で大量生産を目指し、それがヒット商品になったからこそ、今僕らはこうしてエレキギターを楽しんでいるわけです。それと、なぜエレキギターが生き残っているかというと、丈夫な楽器だったからです。丈夫だったからこそ、これだけ浸透したと思うんです。フェンダーがすごいのは、大量生産だけではなく、丈夫な製品を作ったことです。実際、ブルーズマン、カントリープレーヤー、ロックギタリスト…みんなギターが壊れないからツアーができた。特にアメリカ、しかも昔だったら飛行機の移動じゃなくてバス移動で、今みたいにハードケースに入れていたかどうかも怪しいです。それでもエレキギターは壊れずに、伴奏するための道具として機能してきたんです。それはとても重要なことだし、革命だったと思うんです。しかも、今でも使われ方も弾き方もそんなに変わらないわけですから。実際に今もトラディショナルなジャズを演奏する人もいれば、いろんなペダルを使ってまったく新しい演奏表現、アートフォームを作り出す人もいます。それだけ自由な使い方ができる楽器であることが、エレキギターの最大の魅力なんだと思います。

―  最後に、Kenjiさんのギタリストとしての野望を教えてください。

鈴木   野望はないですけど、一生ギターを弾いていたいです。そのためには健康じゃなきゃダメだから、できるだけ健康でいたいですよね。今までのギタリスト人生の中で、ハイライトってあるんですよね。それはオーディエンスの数とか、ハコの大きさとかではなくて、すごくいい演奏をした時の自分のコンディションは覚えているんです。できるだけそれに近いコンディションでいたいと思うんです。今は53歳ですけど50歳過ぎると急にガタッと疲れやすくなったりするので、もっと体力をつけたいなって思ってますね。それが野望かなぁ(笑)。ギターを肩から下げて、人前で自分が納得いくプレイができるコンディションをできるだけ長く保っていきたい、それが僕の今の一番の望みですね。

―  ファンもそれを一番望んでいるはずです。

鈴木   ミュージシャンにはいろんな人生があります。例えば、ロックンロールっていうのはモラルなどに反抗する部分もあるので、太く短くじゃないですけど、無軌道の生活をして、命を短く燃やし尽くし、その間に残った音楽がアート作品になることもあるわけです。でも、僕はこの年齢になっても生きているわけで、そういう“太く短く”ではなかったことにある時に気が付いたんです。ならば、自分らしく生きて自分らしいギターを弾こうと。健康管理をちゃんとして長生きして、自分のギターを聴いて微笑んでくれる人たちのためにいつまでもギターを弾きたいと思います。

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鈴木賢司
64年、東京都出身。83年、ミニアルバム『ELECTRIC GUITAR』でデビュー。85年、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ディープ・パープルの来日公演でオープニングアクトを務める。87年、元クリームのジャック・ブルースと共演、アルバム『INAZUMA SUPER SESSION Absolute Live!!』をリリース。88年に渡英し、活動の拠点をロンドンへと移す。91年、Bomb The Bassのアルバム『Unknown Territory』に参加。「Love So True」「Winter In July」「Air That You Breath」がUKでチャートインし、BBCのチャート番組にも出演。98年よりシンプリー・レッドのメンバーとして活躍。バンドの解散後もミック・ハックネルのソロプロジェクトに参加。2015年、バンド結成30周年を迎え活動を再開。ニュー・アルバム『ビッグ・ラヴ』に参加し、欧州ツアーにも参加する。