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ANOTHER MYSELF VOL.2:竹中直人

ANOTHER MYSELF

“ANOTHER MYSELF=もう1人の自分”。俳優、モデル、タレント、アイドル、作家、芸人など、さまざまな芸術活動を行う傍ら、音楽やギターに熱い想いを持つアーティストをフィーチャーする新企画。第2回目は、日本を代表する役者、竹中直人が登場。


ギターがあったから耐えられた。
ギターを持っていると、“俺はお前たちとは違うんだ”って思えたんです

日本を代表する役者、竹中直人。そして役者に限らず、映画監督、声優、コメディアンとしてもその才能を発揮しているのは周知の通りだ。

音楽好きなら知っていると思うが、竹中は音楽活動も長期に渡って行っている。インディーズからのリリースではあるが、アルバムも10枚リリースしている。しかも、アルバム制作に関わった面子は細野晴臣、鈴木茂、高橋幸宏、鈴木慶一、立花ハジメ、忌野清志郎、仲井戸麗市、高木完、玉置浩二…一流ミュージシャンたちが竹中の音楽的な才能に惚れてアルバム制作に携わってきた。レコードでは歌うことに徹している竹中だが、ライヴではギターを弾き、歌を歌う。最近で言えば、今年4月に40年来の友人でもある仲井戸麗市との2マンライヴを東京・南青山MANDALAにて開催した。

そう言えば、竹中がコメディアンとしてテレビに出だした頃、フォークギターを持つヒッピー“中津川ジャンボリー君”というキャラクターで、深夜番組などでシュールな笑いを起こしていたのを思い出した。

果たして、竹中のギターヒストリーはどこから始まったのだろうか?

「子供の頃、最初になりたいと思っていた職業は漫画家でした。でも、小学生で加山雄三に出会ってエレキの存在を知ったんです。だから、僕が世界で最初に目にしたギターは加山さんが弾いていたフェンダーのエレキです。裕福な友達の家に行くとフェンダーのギターが置いてあって、“加山さんのギターと同じだぁ”ってただ憧れて眺めていましたね。中学に入るとフォークが流行り出して、古井戸、吉田拓郎、井上陽水、まだ3人の時代だったRCサクセション!そんな素晴らしいフォークに触れているうちに、“俺にも弾けるかもしれない”と思ってとっても安いギターを買って弾くようになったんです。いやぁ、あまりにも懐かしいなぁ」

そう、しみじみと語る竹中。その語り口調は映画やテレビで観ているそのまま。抑揚のある語り口で話を聞いていると、初めてギターを手にした嬉しそうな竹中少年が思い浮かぶようだ。中学で初めてギターを手にした竹中。高校に入ると佐賀くんという友人から“一緒に音楽をやらないか?”と声をかけられ、行動をともにするようになったという。

「佐賀くんと2人で学園祭で演奏するために一緒にオリジナルを書いて、ギターを弾いて歌ってました。佐賀くんと一緒に作った『雨が怖い』という曲がヤマハポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)神奈川地区大会のテープ審査に通って、神奈川地区の予選で演奏することになったんです。もうびっくりです。自分たちが作った曲が審査に通ったのが嬉しくて、それでロックバンドをやっている友人を誘ってロック調にアレンジでして地区大会に臨んだんです。会場に人がたくさん入っていてね。僕はギター&ヴォーカルだったのですが、緊張して歌詞が出てこなくなってしまって、、、。ただのインストバンドになっちゃった。終わった後、参加してくれたバンドの前で「ごめんねごめんね」って号泣しました。」と、ほろ苦い若き日のエピソードを話してくれた。

思わず爆笑してしまったエピソードも話してくれた。高校時代。バッド・カンパニーが好きだった竹中は、ロック雑誌に載っていた憧れのポール・ロジャースの写真を持って美容室に行き、同じ髪型にしてほしいとリクエストした。

「すごく髪を伸ばしたんです。パーマをかけたくて。僕は昔からおでこが広かったのですが、長髪でそのおでこは隠れていたんです。でも、ポールと同じ髪型をリクエストしたにもかかわらず、おでこは丸出し。しかも頭頂部だけがパンチパーマ、サイドはふにゃふにゃのウェーブパーマという信じられない髪型になってしまって。もぉ生きていけねぇと思いましたよ。実際に電車に乗っていても、周囲から“何だあいつ”って囁く声が聞こえてくるし(笑)。でも、ギターがあったから耐えられましたね。ギターを持っていると、俺のヘンな髪型を見て笑っているやつに対しても“俺はお前たちとは違うんだ、音楽をやってるんだ”って思えたんです」

ANOTHER MYSELF

思春期の竹中少年にとって、ギターは自分を主張する武器であり、心の盾のような存在だったようだ。高校卒業後は多摩美術大学に進み、そこで映像と役者の道に進むこと決めた竹中が、いわゆるプロデビューを果たしたのは27歳の時。その後の活躍は説明不要なので割愛するが、ヤマハポプコンの神奈川地区予選で失敗をした竹中は“音楽はずっとやっていこう”とだけは心に決めていた。当然、コメディアン、役者と活躍する中で音楽活動も行った。

ただ、実は極度の“あがり症”だという竹中は、緊張のため大事なライヴで何度も失敗をした。今でも人前での演技・演奏は緊張するという。

「あがり症だけじゃなくて心配症。ギターのコードを間違えたらどうしようとか、高い声が出なかったからどうしようとか考えてしまうんです。なので、ライヴをやっていても爽快感はまったくないです。もっと言えば被害妄想なんです。フェスにもたまに呼ばれるんですが、“どうせ俺なんかが出ても盛り上がる訳がない”って感じです。芝居も同じです。台詞を忘れたらどうしようって。何年やっても強くなれない。でも、段取りにはしたくない。その場の即興性も大切だしね。」と少しだけ弱気な顔を見せた。

ではなぜ、何年も芝居や音楽を続けているのか。「それは、好きだから。大好きだから」と即答してくれた。撮影で使用したAmerican Acoustasonic Telecasterをひょいと手にして、ご機嫌なブルースを何曲か聞かせてこう語った。

「ギターってロマンちっくだよね」

NHK BSプレミアムでのドラマ『盤上の向日葵』が終わったばかりだが、10月8日から12月11日まで舞台『Q:A Night At The Kabuki』に立つ竹中。この芝居、シャイクスピア『ロミオとジュリエット』とクイーンという内容で、ロックファン必見の内容だ。

「野田(秀樹)さんとご一緒するのは初めてですが、大勢の方が出る芝居なのでものすごく心配(笑)。さっき、撮影の合間にフェンダーのかわいいウクレレを発見したんです。撮影で使ったこのAmerican Acoustasonic Telecaster、音も持った感じも見た目も最高。『Q:A Night At The Kabuki』の全公演がアップしたらこの2本を絶対に買いに行きます!それを楽しみに舞台頑張ります!なんだか舞台が楽しみになってきたなぁ」と再び周囲を笑わせた。

今でもギターは、竹中の武器であり心の盾なのかしれない。ふとそう思った。


竹中直人
1956年、神奈川県出身。多摩美術大学時代から自主映画を制作し、卒業後は劇団青年座に入団。83年、『ザ・テレビ演芸』でグランドチャンピオンになり、芸能界にデビュー。『ロケーション』(1984年)、『ファンシイダンス』(1989年)、『226』(1989年)といった映画や、大河ドラマ『秀吉』(1996年)、『のだめカンタービレ』(2006年)、など多数のTVドラマに出演。1991年、「無能の人」で映画監督デビュー、以降7本の映画監督を務める。『シコふんじゃった。』(1992年)、『EAST MEETS WEST』(1995年)、『Shall we ダンス?』(1996年)では日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。その他、吹き替えやCM、ナレーションなどマルチな才能を発揮している。