#FenderNews / Why We Play vol.3

Why We Play vol.3:日野賢二 インタビュー【後編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜベースを選んだのか? そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。日野賢二さんを迎えたインタビューの後編をお届けします。

Why We Play

天才トランペッター日野皓正を父に持ち、マーカス・ミラーやジャコ・パストリアスらに直接指導を受けるなど、幼い頃から世界トップレベルの音楽に親しんできたベーシスト、日野賢二。インタビュー後編では、ジャズから学んだことを語ってくれました。

とにかく大切なのは練習、
それから「愛」ですね
 

―  19歳でプロのベーシストになり、1989年にはアポロシアターのハウスバンドに所属し演奏していたそうですね。

日野賢二(以下、日野)   ステージの幕が上がると、最初は黒人の観客たちに指を指され、「ロングヘアーのチャイニーズが混じってる!」なんて馬鹿にされていました。でもベース弾いた後は、「なんだお前、すげえな!」って必ず褒められましたね。メイシー・グレイのバックを務めていた時、彼女が僕に「音楽は年齢も人種も差別がない」って言ってくれた。ミュージシャンの中には、「なんでお前みたいなやつが、俺たち(黒人)の音楽をやってんだ」みたいなことを言う人もいたけど、でも95パーセントの人は、「音楽」を通じて一つになろうと思っている。一流のミュージシャンはほんっと、みんな優しいですよね。そういう人たちからいろんなことを学びました。

―  やはり、人と人との交流が大切ということですね。

日野   そう。だから、とにかく友達になる。英語なんて多少できなくても臆せず、とにかく話しかけてみる。これは俺の考えだけど、この地球上に生きている限り、出来るだけたくさんの人と繋がって、触れ合って、助け合いしながら生きていった方が絶対楽しいと思う。そして、音楽にはそういう「繋がるパワー」があると思うんですよ。俺がこうやって世界中の人と仲良くなれて、大きな自信を持つことができるようになったのも、みんな音楽のおかげだし、ベースのおかげだし、フェンダーのおかげ(笑)。

―  ところで、最近またマーカス・ミラーとブルーノートで共演したそうですね。

日野   そう。ちょうどMISIAの北海道公演が終わり、東京へ戻るために飛行機に乗ったところで「おい、お前今何やってんだ?」って連絡が入って。「これから東京へ戻るんです」って言ったら、「じゃあ、ライヴ一緒に出てくれ」って(笑)。ベーシスト2人いらないじゃんって思いつつ行ってみたら、「アレックス(・ハン)が唇にかさぶたができちゃって、サックスが吹けないし、3人編成じゃジャズになっちゃってつまんないから何かやろうよ」って。それで、飛び入りで出ることになり、2人でバキバキの演奏をしたらスタンディングオベーションの嵐(笑)。

―  マーカス・ミラーやジャコ・パストリアスとの交流で覚えていることはありますか?

日野   やっぱりあの人たちってさ、何にも考えないでパッと弾く人だから。つまり、1日何十時間も練習しているんだろうけどさ。それか、常に音楽の研究をしている。普通のベーシストと違って、ミュージシャンであり、作曲家やアレンジャーであり、プロデューサーだから、ベースを弾くときはいつも周りの音をよく聴いていますね。重心を支えながら、みんなを引っ張っていく感じ。それはマーカスもジャコも一緒。もう、プレイを見ているだけで勉強になるからスポンジのように全部盗まないと(笑)。高校時代、マーカスが初めて演奏しに来たときも本当に凄かった。キーがDの曲だったんだけど、ベースソロになったら4弦をその場でDに落として弾き始めた。「うわあ、すげえな!」って思いましたね(笑)。

―  「一流のミュージシャンはみんな優しい」っておっしゃいましたけど、それはマーカスもジャコも同じ?

日野   もちろん。ジャコもマーカスも、みんなに優しくするハートを持っているからこそ、あんな美しい音楽を奏でられるんだなあと思いました。ジャコは若い頃から天才で、それだけに繊細で脆い部分もあって。みんな彼にドラッグを押し付けたり、お酒を飲ませたりして……。「ああ、こういう風になっちゃいけないんだ」「人間としても天才じゃないと生きていけないのか」って思いましたね。ただ、やっぱり彼のテクニックは忘れられない。ライヴで僕らの演奏が終わっても、20分くらい延々とソロを弾いているんですよ(笑)。「ベース1本でここまでできるのか」「よく体力あるなあ、この人」って。

―  そんなすごい人たちを、間近で見てきたわけですよね。

日野   俺もまだ10代半ばくらいだったから、訊きたいことがあってもなかなか話しかけられなかったけど。でも、練習してベースが上手くなってくると「怖い」っていう気持ちも少しずつなくなってきて。自分に自信が持てるようになったんでしょうね。それで演奏の上手い人たち、心の熱い人たちと一緒に演奏するようになると、どんどんアドバイスももらえるようになる。

―  自分に自信を持てるようになれば、心に余裕もできるし、人に優しくもなれるわけですよね。

日野   そう。だから、上手いのにいつも威張っている人、意地悪なミュージシャンは、自分に自信がないんだと思う。それって人生を損していると思いますね。なので、とにかく大切なのは練習。それから「愛」ですね。愛以外のものは必要ない。楽器も僕は愛しているからたくさん練習するし、それで自信を持って人にも優しくなれたのだと思う。本当に一流の人たちは、オフステージでも心から楽しんでる。もうずーっと冗談言ってるんだよ(笑)。だから駄洒落ばっかり言ってる俺も、「これで間違ってなかったんだ!」って思えてホッとするんだよね。

―  (笑)。様々なジャンルでベースを弾く日野さんにとって「ジャズ」の魅力は?

日野   最もインテリジェンスで、最も深く、最も難しい音楽だから。同じ曲を演奏しても、1人メンバーが変わっただけで全く違う曲になる。そして、スタンダードと言われる曲は、60年も70年もずっと、未だに演奏され続けているんですよ。どうしてだと思う? 気持ちいいからなんですよ。目をつぶって弾いていると、山が見えたり、森が見えたり、川が見えるような感じになるからなんです。それにジャズって、すっごく小さい音から、ものすごく大きい音まで出すじゃない? そのダイナミクスも魅力的。だから、今ロックをやっている若い人たちも、きっとどこかのタイミングでジャズの魅力に気がつくのだと思う。そういうところが魅力なのかな。

―  ジャズは一生付き合っていける音楽なんですね。

日野   そう。一生勉強ですよ。一生練習。例えば、4コーラス全て違うアドリブができるようになったら、今度は10コーラスできるようにする。そうやってずっと練習し続けると思います。いろんな人と触れ合い、いろんな音楽に出会いながら、ずっと音楽をやっていけたらいいですね。そして、音楽で世の中を「平和」にすることができたらそれが一番嬉しいです。

› 前編はこちら

 
日野が所有するフェンダーベースのコレクション
 
Why We Play

「プレベが2本で、ジャズベが5本、どれもみんな好き。このイエローボディは70年代のフェンダージャズベ。この色、買う時はリフィニッシュされているのかと思ったのだけど、どうやら“インターナショナルカラー”というのがあるらしく、当時ヨーロッパだけで作られたカラーモデルらしいんだ。日本で持ってるの、おそらく俺だけなんじゃないかなあ。プレベなら写真では見たことあるけど、ジャズベは写真でも見たことがない。もしかしたら持っている人もいたかもしれないけど、今はリフィニッシュしちゃっているかもね。とにかく、すごく気に入ってる。こっちのプレベは76年。ちょっとネックが細めなんですよね、ジャズベみたいに。でも根本はちゃんと太くて。(弾き始める)ほら、アンプを通さなくてもちゃんといい音するでしょ?」


日野賢二
幼少の時、父である日野皓正(トランペッター)とともにNYに移住。9歳よりトランペットを始め、16歳でベースに転向。17歳の時、ジャコ・パストリアスに師事する。19歳よりプレイヤーのみならずミュージックディレクターとしてプロ活動を開始。89年にはアポロシアターのハウスバンドの一員として出演。その後、父の日野皓正や叔父の日野元彦のアルバムに参加したり、NYブルーノートなどのライブハウスを中心にベーシストとして活動。2003年、アルバム『WONDERLAND』でのデビューを機に本拠地を日本に移して活動している。

› 日野賢二フェイスブック:https://www.facebook.com/kenji.hino