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Why We Play vol.5:D.W.ニコルズ 鈴木健太 インタビュー【前編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜギターを選んだのか?そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、ギタリストの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。今回はD.W.ニコルズ鈴木健太さんの登場です。

Why We Play

フォークミュージックやカントリー&ウェスタンといった米国ルーツ音楽を下敷きに、子供からお年寄りまで楽しめるような、シンプルで親しみやすいメロディーを奏でる4人組バンド、D.W.ニコルズ。そのサウンドをカラフルに彩るのが、ギタリストの鈴木健太だ。ジョージ・ハリスンをこよなく愛し、『GO OUT CAMP』ではウクレレのワークショップ、テレビ東京『音流〜OnRyu〜』ではウクレレ講師を務めるなど、ウクレレ奏者としても豊かな才能を開花されている彼のプレイは、一体どのようにして培われてきたのだろうか。

中学生の頃は、わざわざ早起きしてまで練習してた
 

―  鈴木さんのギターとの出会いはいつ頃だったのですか?

鈴木健太(以下:鈴木)   ギターを始めたのは、確か中学校1年生の時だったと思いますが、それ以前から音楽は身近にありました。というのも、父親がフォークギターが趣味で、僕が物心つく頃には夜な夜な家でギターを弾いていたんです。両親とも音楽が好きでしたが、“じゃあ僕も”っていう風にはならなかった。どちらかと言うと、無趣味のゲーム少年に近かったんです。塾なども行かず、家に帰ったら即ゲームみたいな。

―  それは意外ですね。

鈴木   音楽を聴くのは好きだったんですけどね。家ではザ・ビートルズやボブ・ディラン、エリック・クラプトンなど、昔の洋楽がよく流れていたし、例えばサイモン&ガーファンクルのあの有名な『セントラルパーク・コンサート』のビデオが家にあって、親とよく一緒に観ていました。ただ、自分がギターを習ってその人たちに並びたいとか追いつきたいとか、そういう考えがまったくなかった。

そのうち親から、“もう中学生になったんだし、何か趣味を見つけたら?”みたいなことを遠回しに言われるようになって。それで、“じゃあ家にギターもあるし、やってみるか”という感じで弾き始めたんですよね。だから、ギターが弾けることがカッコいいとも特に思っていなくて。逆に、ギターを始めたことで“カッコつけてる”と思われるのがイヤで、本当に仲の良い友人にしか打ち明けてなかったんです。

―  じゃあ、弾いているうちに段々と好きになっていった?

鈴木   いや、ギターを始めてすぐでしたね。“これは面白い!”って。最初は父が持っていた、例えばブラザース・フォアとかの楽譜を引っ張り出しきて、メロディーの部分を単音で弾くというようなことから始めたんです(笑)。もうとにかく、ドレミファソラシドの練習だけでも楽しくて仕方なかった。そうしたら、今までずっとやっていたゲームもまったくやらなくなったんですよ。

―  何がそんなに楽しかったんでしょうね?

鈴木   たぶん、ギターの「音」が好きだったんですね。その好きな音を、自分で自由に奏でられる喜びというか。あと、大きかったと思うのは、ある程度ドレミが弾けるようになってから、父のギターの伴奏に合わせてメロディーを弾いたこと。おそらく、それが今につながっている気がします。合奏をする楽しさは、その時の感動が大きかったのだと思いますね。

―  煩わしいスケールトレーニングよりも先に、自分が好きな曲のメロディーを弾いてみることから始めたのは、モチベーションを上げる意味でも良かったのかもしれないですね。

鈴木   自分では、まさかそんなに夢中になるとは思わなかったんですけどね。それまでは本当、何をやっても長続きしなかったのに。中学生の頃なんて、わざわざ早起きしてまで練習してたんですよ。

ジョージのギターにはメロディーを感じるんです
 

―  ザ・ビートルズが好きで、中でもジョージ・ハリスンに惹かれるのは彼がギタリストだから?

鈴木   アコギからエレキに持ち替えたのが中3くらいで、初めてコピーしたギターソロが、ザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」のギターソロだったんです。その思い入れが強いというのもあるのかも知れないですね。ザ・ビートルズの曲では「ヒア・カムズ・ザ・サン」が小学生の頃からずっと大好きでした。それから「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」もコピーしました。まあこれはクラプトンがソロを弾いてますけど。どちらもジョージの曲ですが、それを知ったのはもっとずっと後のことで。その時は本当にびっくりしたし、ますますジョージに惹かれていきました。

―  ジョージのギターのどんなところに魅力を感じますか?

鈴木   ジョージのギターにはメロディーを感じるんですよね。例えばギターソロでもオブリガートでもそうですが、大抵のギタリストはコードの中で、手グセを使って弾くことが多いと思うんですよ。でもジョージのギターフレーズって、ちゃんと練り上げられているから口ずさめるんです。“歌える伴奏”というか。ジョンやポールの陰に隠れがちですけど、控えめながらすごく丁寧なアプローチをジョージはしていて、そこに美学を感じるんですよね。

―  そんな鈴木さんが、プロのギタリストを目指すようになったのはいつ頃?

鈴木   ギターを弾いていることを内緒にしていたくらいですから(笑)、とにかく“音楽で食べていける”なんてまったく思ってなかったんです。高校に入って友達とバンドを組んで、そしたらものすごく楽しくて結構人気も出て。卒業後にメンバーたちは、プロを目指して栃木から上京したんですけど、その時は僕は勇気や覚悟が足りなくて、一緒に行くことができなかった。結局、本気でやろうと決心ついたのは、大学を卒業して就職しなかった時だったかもしれないですね。上京したのはそれから数年後、続けていたバンドが解散して、心機一転のつもりで上京したんです。

―  その時は迷いや葛藤などなかった?

鈴木   僕が通っていたのは国立大学の理系で、就職率もすごく高かったんですよね(笑)。同級生は次々と一流企業の内定が出る中、僕だけ一切就活しなかった。でも、両親は“好きなことをしろ”って言ってくれました。“その代わり全部自分でやれ。実家には帰ってくるなよ”って。そのことは何よりも感謝していますね。

―  上京してD.W.ニコルズのメンバーになるまでは?

鈴木   バンドも持たず単身で上京したので、とにかくまずは“ギターが弾ける場所を探そう”と。楽器屋さんに貼ってある「メンバー募集」のチラシを片っ端から見ていって、自分と音楽の趣味が合いそうなバンドがギターを募集していれば、すぐに電話して一緒にスタジオ入りして。その頃、いろんなバンドのサポートギターを務めましたね。もちろん、アマチュアですから報酬なんてもらえないのですが、とにかく演奏する場を増やし、人脈を広げていきました。僕はバンドをやりたかったので、一緒に音楽を作っていけるメンバーを探すために、そういう活動をしていたんですよね。それに腕だめしのつもりもあった。自分のギターがどの程度通用するのか、見極めたかったというか。

―  生活する基盤も作らなきゃならないし、忙しくて大変だったんじゃないですか?

鈴木   もう、休みなんてないですよ。たくさんのバンドを掛け持ちして、空いている時間はアルバイトして生計を立てて。でも、いい練習にはなりましたね。さまざまなタイプのバンドがあって、そこにはさまざまなボーカリストがいるわけです。その人の歌声やメロディーラインを引き立てつつ、自分はどういうギターのアプローチをするべきなのか、考える時間をたくさんもらえました。まさに「武者修行」でしたね。あと、ギターを弾きながら歌うボーカリストって、みんないいギター弾くんですよ(笑)! “ああなるほど、そういうギターのアプローチもあるのか”っていう感じで、常に勉強させてもらっていました。とにかくガムシャラでしたよね。

―  そんな「武者修行」の最中に、ニコルズに出会うわけですね。

鈴木   ちょうどその頃、ニコルズはスリーピースで活動を始めていて。僕が、とあるシンガーのサポートギターをやっていた時、ニコルズとは別のバンドでベースを弾いていた千葉真奈美(Ba)と知り合って。彼女に“ちょうど今、ギターを探している”といって誘われたんです。それで、作りかけの曲を聴かせてもらった瞬間、“出会った!”って思ったんです。それまでいろんなバンドのサポートをやってきましたが、自分が本当に好きなのは米国ルーツミュージックで、そんな自分の持ち味を存分に発揮できる場所がなかなか見つからずにいたんです。そんな中、ニコルズを聴いたとき、“自分の好きなプレイをそのまま生かせる“、“このバンドでなら、気負わず楽しくギターが弾けそう”って思えたんです。デモ音源を聴かせてもらった時に、“この曲ではこんなアプローチをしてみよう”とか、“この曲にはこんなギターのフレーズが合いそうだ”という風に、イメージがどんどん湧いてきたんですよ。それで完全にビビビっときて加入を決めました。

› 後編に続く

 

【鈴木健太が所有するフェンダーコレクション】

Why We Play

■Zuma Concert Uke
南カリフォルニアにある、サーフィンが盛んなズマビーチから名付けられたこのウクレレは、鈴木が愛してやまないFender Telecasterと同じヘッドの形をしているのが大きな特徴だ。サペリ材を使用し、オープンポアフィニッシュが施されたコンサートサイズのウクレレで、他の楽器との馴染みも良い。鈴木のように、バンドサウンドの中でウクレレを弾きたい人にはオススメのタイプと言えるだろう。

Why We Play

■Rosewood Telecaster
2013年に購入し、翌年のニューイヤーコンサートから愛用しているというオールローズのTelecaster。ジョージ・ハリスンが、ザ・ビートルズの「ルーフトップ・コンサート」(1969年1月30日に、ザ・ビートルズが英国ロンドンにある当時のアップル社の屋上で、映画撮影のために行ったゲリラライブ)で使用したことで有名。Telecaster特有の、ジャキジャキとした耳に痛い帯域がまろやかで、シンライン構造による箱鳴りと、硬質で粒立ちの良いサウンドの絶妙なブレンド具合が魅力だという。


D.W.ニコルズ
2009年、メジャーデビュー。男2・女2の4人編成のバンド。バンド名はC.W.ニコル氏公認で交流も深い。結成以来、緩やかながらも右肩上がりにライブ動員数を増やし続け、16年9月には横浜・大さん橋ホールにて単独公演をソールドアウトにて大成功させた。また、ツアーやフェスだけでなく、全国各地のイベントや地域の町おこしイベントなどへも多数出演。さらにはTV番組テーマ曲やCM曲なども手がけ、幅広い活動と親しみやすいキャラクターで、老若男女、ファミリー層も巻き込みファンを拡大中。誰もの日常に寄り添う等身大の歌詞で、時代に流されない普遍的な音楽を、ユーモアを交えながら奏で続けている。2018年にCDデビュー10周年を迎える。

› D.W.ニコルズ:https://www.dwnicols.com/

鈴木健太
栃木県鹿沼市出身。D.W.ニコルズのギタリスト。ギターのみならずウクレレ、バンジョー、ラップスチール、楽曲のアレンジを担当。幼少期から両親の影響で60〜70年代の米英の音楽に慣れ親しみ、フォーク、カントリー、ブルースなどのアメリカンルーツテイスト溢れるプレイが持ち味。また、ボブ・ディランやザ・ビートルズフリークであると同時に、アナログレコードの愛好家でもある。愛器はフェンダーカスタムショップ製のオールローズテレキャスター。また、フェンダーの工房にてカスタムしたB-ベンダー搭載のテレキャスターも使用。2015年より甲斐よしひろのツアーにも参加。持ち味でもあるフィンガースタイルのプレイを中心に、様々なアコースティック楽器をプレイしている。最近ではウクレレプレイヤーとしても活動の幅を広げ、テレビ東京『音流〜OnRyu〜』ではウクレレ講師として登場している。