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Why We Play vol.7:鈴木賢司 インタビュー【前編】

音楽と人、そして楽器。さまざまな表現手段の中から、なぜギターを選んだのか? そんな素朴な疑問にフォーカスを当て、プレイヤーの内面に深く迫る連載企画「Why We Play」。今回は、シンプリー・レッドのギタリストでもあるKenji Jammerこと鈴木賢司さんを迎えたインタビューの前編をお届けします。

Why We Play
ギターでメロディーを弾くギタリストに憧れてました
 

―  現在、ギターは何本お持ちですか?

鈴木賢司(以下:鈴木)   今回、ロンドンから日本に帰ってくる前に楽器を倉庫にしまいに行ったんですけど、その時に数えたら30本くらいあった気がします。

―  その中でフェンダーのギターは?

鈴木   フェンダーは63年のStratocasterと51年のNocasterを愛用しています。

―  そう言えば、Kenji Jammerさんがデビューした当時、白いStratocasterを弾きまくっているのをテレビで見て衝撃を覚えた記憶があり、Kenjiさん=フェンダーの白いストラトのイメージです。

鈴木   白いストラトを使ったのは、僕のデビューコンサートをフェンダーがサポートしてくれたのもあったのですが、子供の頃に影響を受けたギタリストがジミ・ヘンドリックスで、ワーミーバー(トレモロアーム)が付いていることがものすごく重要だったというのがそもそもあります。ちょうどエドワード・ヴァン・ヘイレンを筆頭に、トリッキーなプレイをする人がギターヒーローだった時代なので、自分も何とかそういうプレイを取り入れて目立ってやろうという感じでしたね。

―  憧れのギタリストとしてジミ・ヘンドリックスの名前が出ましたけど、ギターを始めたきっかけは?

鈴木   もともと5歳からヴァイオリンを習ってたんです。それで弦楽器に惹かれていたのと、ヴァイオリンの影響でバッキングワークというよりもギターでメロディーを弾くギタリストに憧れてました。カルロス・サンタナ、ジェフ・ベック、ロイ・ブキャナン、もっと古いところで言えばザ・ベンチャーズとかシャドウズといったギターインストのメロディーを弾くギタリストにすごく憧れていたんですよね。

―  どんな練習をしていたのですか?

鈴木   最初に手にしたギターは、従兄弟からもらったガットギターだったのですが、エレキギターに持ち替えるまではシンプルなコードを従兄弟のお兄さんから教えてもらってました。“Emはこうやって押さえるんだよ”みたいな感じで、みなさんと同じだと思います。二世ミュージシャンでもないので周りにプロフェッショナルな人がいたわけではなく、見よう見まねで歌本を見ながらコードを覚えたりしてました。で、中学校1年生ぐらいの時に初めてエレキギターを手にしてからは、とにかく弾くのが大好きで毎日弾きまくってましたね。

―  そして、学生の頃からテレビに出て、スーパープレイを披露して“天才ギター少年”として世間を驚かせたという。

鈴木   テレビに出ていたといっても、アマチュアが出るゴングショー的なものですけど。当時16歳ぐらいだったと思いますが、“学生服のギター少年”なんてテレビでは言われました。でもそれを目撃した人が多かったおかげで、レコードデビューにつながったりと、プロフェッショナルな道を切り開くことができたわけですけどね。

楽曲の中でどれだけスペースを作るかってことが大切
 

―  プロになってからの活躍は目覚ましく、85年にはスティーヴィー・レイ・ヴォーン、ディープ・パープルの前座に抜擢されたり、87年には元クリームのジャック・ブルースとアルバム『INAZUMA SUPER SESSION Absolute Live!!』を作り、そのアルバムがきっかけで88年に渡英したわけですよね。

鈴木   渡英の話は勘違いもあったんですよ(笑)。日本のマネジメントから、“ジャック・ブルースがロシアツアーをやるらしく、Kenjiにギタリストとしてツアーに参加してほしいとオファーが来ている”って言われて、日本のマネジメントも家賃などは払うからロンドンに行ってこいということで、“留学!ラッキー!”って軽い気持ちでロンドンに行ったら、全然そんなことなくて。

―  というと?

鈴木   ジャックに会ったら、ロシアツアーに参加するアメリカ人のギタリストを紹介されて…。“え? じゃあ俺は?”みたいな(笑)。だけど契約書にサインしているわけでもないんで、“話が違うじゃん”って言っても仕方ないし。それで、アルバムでも作ろうかと思ったら、当時のイギリスはギターアルバムを作るような環境ではなくて。

―  どういうことですか?

鈴木   88年2月14日、バレンタインデーの日に僕は初めてイギリスに上陸したんですけど、その頃ってDJカルチャーがイギリスにガーンとやって来た時期で、ギターを使っている音楽は60s、70sからやってるようなマーク・ノップラーやピンク・フロイドといった大御所しかいなかった。DJカルチャーという自分が思っていたのとはまったく違う音楽シーンがそこにあって、今まで日本でやってきたスタイルの音楽を活かせるような土壌がイギリスにはなくなってたんです。それで、すごく打ちひしがれました。それまで日本で5年間プロとしてアルバムを何枚も出させてもらったし、僕のフォロワーも何人かはいてくれて、みんなに“ロンドンで俺のギターを轟かせてくる!”って思いきり豪語して日本を出てきたものですから、本当に拍子抜けしたし、何か爪痕を残さないと帰れないなって思ったんです。ただ、ロンドンだとギターを弾いてるやつが全然いなかった。だけど何とかしなきゃいけない、何かやりたい、人と会おう、でも会えるミュージシャンはほとんどいない。

―  八方塞がりですね。

鈴木   でも僕は当時日本のソニーとディールがあったので、そこから紹介してもらってロンドンのソニーに挨拶に行ったんですけど、現実をひと言で突きつけられました。“第二のジェフ・ベックはいらない”と。それで気が付きました、イギリスという国はジェフ・ベック、エリック・クラプトンを生んだ国だし、ジミ・ヘンドリックスがスターになった国なんだと。だから、彼らのフォロワーは67年以降無限にいるわけで、日本人の俺が乗り込んだところでそれはただの真似の真似の真似でしかないという厳しい現実に直面しました。でもギターは弾きたい。そして音楽はある。それで何とかギターを弾く場を探している時に出会ったのが、当時ロンドンのナイトクラブで音楽をかけているDJたちだったんです。ナイトクラブのDJに何とか自分のギターの演奏をアピールできたんです。

―  具体的にはどんなことをしたのですか?

鈴木   マルチエフェクターとギターを背負ってナイトクラブに行って、DJと仲良くなって、“DJブースに入れてもらってジャミングできないかな?”みたいな話をしていたんです。そうしたら、のちにU2のプロデューサーにまで昇格したポール・オーケンフォールドという男が、彼もまだ当時無名でDJをしていたんだけど、彼も新しいことをやってみたいってことで、僕をDJブースに入れてくれたんです。彼は今で言うハウスとかをプレイして、曲と曲をつなぐ時にフェイドインフェイドするんじゃなくて突然曲をミュートして、その時に僕が激しいクレイジーなギターソロをインサートしたんです。そこで客が“ウォー!”となった時にまたビートが入ってくる…。それまでまったくなかった、ダンスミュージックとギターミュージックの融合をロンドンで始めたんです。

―  そうやってロンドンでギターを弾くシーンを自ら作り出すところから始めて、渡英10年にしてシンプリー・レッドのメンバーに加入したわけですが、ソロギタリスト志向だったKenjiさんがバンドに加入した理由は何だったんですか?

鈴木   経験ですね。ギターを弾いてる限り、ギターという楽器をさらに会得していきたい、あるいは違う弾き方をどんどんしていきたい気持ちが未だにあります。ギター自体は歴史のある楽器で、それこそスパニッシュギター、ジプシーのギターの人からパンクロック、ヘヴィメタル、ジャズもあればカントリーもあって、いろんな弾き方があるわけです。食べ物にはいろんな味があって、いろんなものを味わってみたいのと同じで、いろんな演奏法をチャレンジしてみたいんです。

―  わかります。

鈴木   それと、自分も好きで毎日毎日いろんな音楽を聴くわけですが、その中で“どうしたらこんな音が出るんだろう?”“どうしたらこんなフレーズが弾けるんだろう?”“このコードってどうやって押さえてるんだろう?”っていうのを感じるわけです。もしギターを習っている人だとしたら先生から教わってどんどん弾けるようになるし、今だったらYouTubeを見てコピーするんだろうけど、僕らの世代は耳コピして弾いたりしていく。つまり、どんな経験でもそれは必ず自分の糧になるわけなんです。だから、シンプリー・レッドは決してギターがメインに出るバンドではないけれども、出なきゃいけない時にはものすごい重要な役割を果たすバンドなんです。このバンドでギターを弾く仕事は、決してやりたくない音楽を嫌々やっているわけではなくて、世界で6000万枚以上アルバムを売っているバンドのギタリストとして責任のあるポジションでギターを弾くことは、絶対にミュージシャンとしてギタリストとして自分のためになることだと思いましたよね。

―  シンプリー・レッドのギタリストとして、実際にワールドツアー、しかもスタジアムクラスで演奏することはギタリストとしてどんな成長をもたらしましたか?

鈴木   広い会場でそれだけたくさんの人に認知されてる楽曲を演奏する時は、音をたくさん弾くよりも、その楽曲の中でどれだけスペースを作るかってことがすごく大切だと学んだかもしれないです。アリーナの会場ってものすごいエコーがかかるし、広いスタジアムでやるときにはすごい大きな音で出ているわけなので、その時にこざかしいことをやったところでオーディエンスには届かないというか、ただうるさいだけになっちゃうんです。そういう経験を通して“間とグルーヴを大切にすること”を叩き込まれたなと思います。簡単に言うと弾きゃあいいってもんじゃないっていうことですね。

› 後編に続く

 

鈴木賢司
64年、東京都出身。83年、ミニアルバム『ELECTRIC GUITAR』でデビュー。85年、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ディープ・パープルの来日公演でオープニングアクトを務める。87年、元クリームのジャック・ブルースと共演、アルバム『INAZUMA SUPER SESSION Absolute Live!!』をリリース。88年に渡英し、活動の拠点をロンドンへと移す。91年、Bomb The Bassのアルバム『Unknown Territory』に参加。「Love So True」「Winter In July」「Air That You Breath」がUKでチャートインし、BBCのチャート番組にも出演。98年よりシンプリー・レッドのメンバーとして活躍。バンドの解散後もミック・ハックネルのソロプロジェクトに参加。2015年、バンド結成30周年を迎え活動を再開。ニュー・アルバム『ビッグ・ラヴ』に参加し、欧州ツアーにも参加する。